簿記とは

債務諸表は、日々の取引を「簿記」という形式で記録する事によってデータが蓄積されていく。この時と特徴的なのが、「借方」と「貸方」という二つの入力区別によってデータ化することである。左側を借方、右側を貸方という。 簿記が全世界でほぼ統一的に用いられている理由は、その記録方法がシンプルからである。この二つ欄には、それぞれ「戡定科目」と呼ばれる取引を類型化した名称とその取引の金額を記入する。 (1) 資産の増加は借方、負債の増加は借方 原始的な印章は中東の遺跡(紀元前7000年 - 6000年頃)から発掘されていて、紀元前5000年頃に古代メソポタミアで使われるようになったとされる。最初は粘土板や封泥の上に押すスタンプ型の印章が用いられたが、後に粘土板の上で転がす円筒形の印章(円筒印章)が登場し、当初は宝物の護符として考案され、のち実用品になったが、間もなく当時の美意識を盛り込んだシリンダー・シールとなった。紀元前3000年頃の古代エジプトでは、ヒエログリフが刻印された宗教性をもったスカラベ型印章が用いられていた。それ以来、認証、封印、所有権の証明、権力の象徴などの目的で広く用いられた。これがシルクロードを通って古代中国に伝わったのは、かなり遅れて戦国時代初期(紀元前4、5世紀)であったろう。その図象を鋳成した青銅印を粘土に押し付けると、レリー印鑑通販専門店状の図象が浮きあがり、シリンダー・シールとの文化的連続性は否定すべくもない。 簿記では、現金のようなプラスの財産を「資産」という。これに対し、借入金などのマイナスの財産を「負債」という。 現金のような資産の増加は、仕訳では借方に書く。増加が借方なので、減少は貸方となる。これについては預金通帳を思い描けば分かりやすいだろう。(ただし、預金通帳は増加と減少が左右逆になっている。) これに対し、借入金などの負債の増加は貸方となり、減少は借方に書かれる。 (2) 収益の発生は借方、費用の発生は貸方 売上など会社に利益をもたらす取引を「収益」と呼ぶ。収益を上げるためにかかって経費は「費用」という。 収益の発生は、必ず現金のような資産の増加を招く。例えば1万円の商品を販売し、代金を現金で受取った場合には、売上という取引により現金が1万円増えている。となると現金の増加は借方に書かれる事になる。すると収益の発生は必然的に貸方に書くことになる。 これに対し、費用の発生は現金の支払いなどで資産の減少を招く。従って、貸方に資産の減少が書かれ、費用の発生は必然的に借方に書かれることになる。 (3) 資本の増加は貸方 株主などから資本の出資を受けた時には、貸方に資本の増加を記入する。例えば、1000万円の資本が当座預金に入金された時には、資産である当座預金が借方に記入され、資本である資本金が貸方に記入される。 (4) 複式簿記 このように資産・負債・収益・費用・資本という異なった種類の科目を当時に記録することを「複式簿記」という。これに対し、例えば家計簿のように、資産なら資産だけの出入りだけを記録する方法を「単式簿記」という。江戸時代の大福帳などはこの単式簿記である。 詩人のゲーテは「人間が作ったもの最も美しいものの一つが複式簿記である」とさえいっている。複式簿記により財産の記録とともに損益の計算の可能になり、しかもその記録方法が単純明快なためである。ソビエト連邦が崩壊した原因の一つに、マルクス複式簿記の概念を知らなかったためだという社会学者もいるほどである。 複式簿記の概念は大航海時代のイタリアで生まれたと言われている。大航海時代は冒険の時代であるとともに、資本家から資金を集め、そのお金で船や船員を調達し、航海によって各地から珍しいものを集め、それを売りさばくことによって儲けるという貿易の時代でもあった。その時に必要になったのが、一回あたりの航海でいくら儲かり、出資した金がどれだけ増えたのかという計算の手法である。ここから複式簿記は生まれた。 一般に欧米人は引き算が苦手だという。このため、例えば資産が減少したとしてもその時に引くのではなく、減少は減少で貸方にプールしておき、最後に借方合計から貸方合計を引くことによって残高を出す手法を編み出したと言われている。